アニエス・ヴァルダのドキュメンタリー映画から現実とフィクションの不可分性を考える

 アニエス・ヴァルダが監督を務めた『落穂拾い』(2000)、『ダゲール街の人々』(1975)、『ラ・ポワント・クールト』(1955)の三作品はそのどれもがドキュメンタリーとフィクションという区分けを横断する作品である。ここでは、ドキュメンタリーとフィクション、または現実とフィクションが対照的なものではなくむしろ不可分のものであるはずだという考えに基づいて、前二作品が一人称で語られるドキュメンタリー映画であり、後の一つが虚実内混ぜに描かれる劇映画であることに着目しながら分析を行う。

 

 ヴァルダによるドキュメンタリー映画『落穂拾い』では、農村で収穫後に取りこぼされた作物を拾う、本来の意味での「落穂拾い」をする人々は勿論、都市部でごみを拾い集めながら生活をする人々、また「社会からこぼれ落ちた人々を掬い上げる活動」をする青年など、様々な「落穂拾い」をする人々が映し出されている。この作品は撮影者であるヴァルダ自身が語り手として映像に説明や注釈を加え、また映像の中に姿を現してもいる、という点が特徴と言える。

 撮影者であるヴァルダの存在が映画内で明確に示されていることによって、「落穂拾い」をする人々を対象にして撮影すること、つまりカメラという機械を通じて映像を撮るという行為それ自体もまた、人間が見落としたり忘れたりするもの、人間の意識の外にあるものまで拾い上げる「落穂拾い」である、ということが重なってくる。

 このことは、作品の冒頭で次のようにして提示される。

 2000年に発表された映画『落穂拾い Les Glaneurs et la glaneuse』は、「落穂拾い glanage」という語の辞書的確認から始まる。そして、かつては農村部でありふれた 風習であった落穂拾いの「姿勢」が、現代の都会の露天市の跡で食料を拾う貧しい人々の「姿勢」へと重ねられる。絵画では集団での行為が多く描かれている「落穂拾い」ではあるが、ジュール・ブルトン(1827-1906)は落穂を肩に担いだ一人の女性のみの絵を描いている。映画ではこの『落穂拾いの女 La glaneuse』を直接見に行ったヴァルダ自身が絵と同じポーズをとる。さらに落穂をデジタル・ハンディカメラに持ち替え、自分が撮影者でもあることが示され、さらに語り手でもあるヴァルダによってタイトルの la glaneuse が自分自身を表していることも説明される(«Lʼautre glaneuse, cʼest le titre de ce documentaire, cʼest moi.»)。[1]

 「様々な glaneurs がその姿を通して問いかける問題性と,それらを拾い集める一人の la glaneuse =ヴァルダが「描かれる=映し出される」映画」[2]であり「計算されたシナリオと素早く的確なショットを編集することによる緻密な構成を基盤としている」[3]この『落穂拾い』という作品は、ジャンルとしてはドキュメンタリー映画とされるが、それは客観的な現実の引き写しとしてのドキュメンタリーではなく、一人称的な語りによる、謂わば私小説的なドキュメンタリーと言える。

 

 『ダゲール街の人々』もまた私小説的なドキュメンタリー映画である。この作品にはヴァルダ本人の姿が映っている訳ではないが、ヴァルダは語り手として映像に関する説明や感想や意見を述べる。また舞台はヴァルダの生活の場であり創作活動の拠点であったダゲール街のごく一部に限られており、ヴァルダが毎日顔を合わせていた商店主たちの日常を主題にしている。次の引用からも、まさにこの作品がヴァルダ自身の生活に根ざしたものであるということがわかる。

 へその緒で赤ん坊に結び付けられていたかのように、子供と一体化したぎりぎりの生活を必死に生きる母親であった自分と、『ダゲール街の人々』の映画空間は同一化されている。 幼い命を養い、守る生活は、いのちの原点との油断ならぬ対峙である。それは画面に登場した、規則正しい、几帳面な商いのあけくれを楽しんでやっている人々との生活への感動と重なるものだ。商店主たちも見えない存在であり、また厳しい育児に無心に明け暮れる母たちもまた見えない存在だ。[4]

 『ダゲール街の人々』ではマジシャン・ミスタグによるマジックショーと街の住民の商いの営みとが非日常と日常、演出と現実の対比の中で連鎖的に繰り返される。しかし現実の商いもまた、店主と客という役を時に反転させながら担っていくロールプレイングであり、演出がないかと言えばそこにあるのは日常という演出である。それは作品内の言葉を借りて言えば「日常の劇場」だ。

 

 このことに限らず、現実は常に既に演出を施されながら理解される。それは「それ自体としては接近不可能であるにもかかわらず、その存在を前提としないことには他の要素がその一貫性を保持し得なくなるために、遡及的に再構成されなければならない現実」[5]である。そうした現実への接近の仕方、その捉え方は、ドキュメンタリー映画が「その始まりから「現実(アクチュアリティー)の創造的な劇化(ドラマティゼーション)」(ポール・ロサ)として自己規定していた」[6]ということと重なり合う。

現実との不快な出会いの記憶を隠蔽するスクリーンの上に、そのような記憶の断片を投影することによってしか、我々は現実を再構成することはできないし、おのれの存在そのものをも対象化しえない。 生命ある一個の有機的統一体としての現実を、生命ない機械的映像の断片に裁断し、そのように裁断され、生命を失った四肢としての映像断片をつなぎ合わせ、縫合し、電気的な生命を与えることによってはじめて我々は世界の像を手にするだろう。[7]

 語り手の存在が明確な一人称的語りによって展開される『落穂拾い』と『ダゲール街の人々』というこの二つのドキュメンタリー映画において行われているのは、現実を映像イメージ化したものを再構成することによる現実の語り直しであり、それによって初めて捉えることが可能であるような現実(アクチュアリティー)の現出だと言える。それは私たちの話す言葉がいつも借り物であり、借り物を継ぎ接ぎしたものであるのと同じ語りである。

 

 『ラ・ポワント・クールト』(1955)は同じ土地で起きている二つの交わらない物語が交互に繰り広げられる。シナリオを持ったフィクションとしてありながらドキュメンタリーの色を含んだ作品である。それは実際に漁村に住んでいる現地の人々によって演じられ、特定の主人公を持たないような、ドキュメンタリー的タッチで描かれる物語、そして職業俳優が演じる明白な中心人物二人の会話を中心としてフィクション的に描かれる物語、そのどちらもが現実の漁村の営みを記録するような性格を持つ映像が背景にあるためだ。

 ドキュメンタリー映画が先に述べたような現実の語り直しであるとするならば、この作品に見られるフィクションとドキュメンタリーの境界の揺らぎは、必然的ですらある。何故なら、私たちの捉えられる現実は常に自らの手によってフィクション化された現実であり、ドキュメンタリー映画もまた現実の再構成というフィクション化された現実であるためだ。現実的な、アクチュアルなものの獲得が常にフィクション化を伴った理解を必要とするということは、フィクションもまた現実を内包するものであること、またフィクションがフィクションとして描かれているからこそ感じ取れるようなアクチュアルなものの存在が、逆説的に説明される。

 

[1] 辻野稔哉(2022)「アニエス・ヴァルダとその晩年の映画制作法—『百一夜』から『落穂拾い』へ」、『秋田大学教育文化学部研究紀要』、p.47

[2] 同上

[3] 同上

[4] 金杉恭子(2010)「パリ・マジックVSダゲール街の人々——アニエス・ヴァルダのドキュメンタリー——」、『広島修大論集』、第51巻第1号、p.10

[5] 阿部宏慈(2011)「ドキュメンタリー映画における<アクチュアル>の問題に関する一試論」、『山形大学人文学部研究年報』、第8号83‑111、p.84

[6] 同上、p.95

[7] 同上、pp.109‑110